初めての妊娠、流産、不妊治療でレジリエンス力(折れない心)を養えた


こんにちは!Mog!真紀子です!

 

 

先週から自分のこれまでのことを書いています。
今週で終わりますので、もう少しお付き合い下さい。

 

 

私は、もともと今のように自分から人を巻き込んで何かを初められる人だったわけではない、という話の流れから、幼少時からのトラウマ、思春期以降の人間不信からどうやって抜け出したのか、そして25歳で迎えた最初のターニングポイント、研修講師という仕事に出会ったきっかけと仕事の楽しさを学んだことを書きました。

 

 

記事はコチラ↓↓
自分は会社とか組織にはなじめない人だと思っていました
最初のターニングポイントは25歳でした
研修講師、という仕事に出会ったきっかけ
「研修講師に向いてない」と言われたこと

 

 

今日は、私の人生の中で、一番悲しく苦しかった初めての妊娠と流産と不妊治療のことを書きます。
(朝から重くてすみません。この話題が受け止められない方は読まないでくださいね)

 

 

28歳で結婚し、29歳で初めて妊娠をしました。
心音を確認して安心していたのですが、次の検診では動いていませんでした。

 

 

全妊婦さんのうちの約15%が流産を経験すると言われているので、ママ、となっているみなさまは、ご自身が経験をされていたり、周囲の方がされている話を聞いたりして、その事実を受け止めることができる方もいるかもしれません。

 

 

でも当時の私は、初めてのことでしたし、想像もしていなかったし、周囲の方からそんな話を聞いたこともなかったですから、ひどく混乱し落ち込みました。

そして、流産を経験された方がみなさんそうするように、自分を責めました。

 

 

あまりに落ち込みがひどく何度も過呼吸の発作が起きるので、看護師の友人から、ためこまずに吐き出す、言えなければ書くといいよ、とアドバイスをいただいたので(みさちゃんありがとう)、「毒ノート」というものを作って書きました。

 

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ノートには、こんなことを書いていました。

 

 

私が、「大事に」していなかったのは事実だ。
上司に、「帰りなさい」と言われたのに帰らなかったり、「休みなさい」と言われたのに休まなかった。
私は、職場での居場所を失いたくなくて、無理をした。
「大事に」の加減がわからなくて自分で勝手に判断した。
自分のために殺した。
これからの人より、今の自分を優先した。
だって、せっかく必死でしがみついて手に入れた、私が成長できる私の居場所だった。
いらない、って言われたくなかった。
それじゃなくても、いつも足を引っ張ってばかりいた。
私だけ知らないことが多いから、みんなの時間を使って説明してもらったりした。
仕事ができる人だと言われたかった。
無責任な人になりたくなかった。
仕事も、育児も、ちゃんとできる人になりたかった。
それが普通の人だと思った。
私はまた、普通の人にはなれなかった。

 

 

先生は、神様のせいにした。
神様は、きちんと人間が出来上がる設計図とできない設計図を持っていて、5人に1人はできない設計図を与えなくてはならないのだと。
だから何度も妊娠したら、できる設計図を手にすることができる。次へ向けて気持ちを切り替えましょう、と。

 

 

神様のせいにしたくない!!
それでは、私はまた神様を恨むことになるからだ。
あいつは、私の子供時代を暗黒のものにした。
私を闇の中に放り込んだ。
悲しいことばかり与えて傷つけた。
私はそのたびに、これは「試練だ、これを乗り越えたら強い自分になれる」と信じて生きてきた。
でも、神様は何一つ、かなえてくれなかった、助けてくれなかったじゃないか。

 

 

母が天理教の教会長の娘だったことから、小さいころから日々の幸せは神様のおかげだから感謝しよう、とか、困ったことがあったら神様に手を合わせてお願いをしよう、とか、言われて育ちました。

 

 

何度手を合わせてお願いをしても、私はいじめられ、嫌われていました。
それを教会の大人に言っても、誰もがきちんと答えてくれないし、「信心が足りない」と言われたりもしました。
だから神様嫌いだったのです。

 

 

これは必要なことなの?
私が普通になるために。
いじめにもあわず、太ってもいなくて、学校の先生にも裏切られなくて、人間不信にもならなくて、大学にも親のお金で行けて、家族の心もバラバラじゃなくて、心の闇の箱も持っていない人、いるでしょう?
そういう人じゃなくて、なぜまた私なの?
もう無理。
生きるのがつらすぎる。
自分を責めて、神様を、母を恨んで、幸せそうな人を妬んで、そんな人生もうやめたい。
疲れた。
どうせ20年の不幸をペイできるほどの幸せなんてもう来ない。
消えたい。

 

 

「流産」そのものの悲しさ、というよりは、自分の存在価値を見いだせなくなった絶望感でいっぱいでした。

 

 

流産後、自然妊娠ができなくなり、ここから2年間、不妊治療をすることになります。

 

 

メンタルを保つためには、とにかく前に進んでいないといられませんでした。

日中は仕事に没頭し、仕事が終わったら治療のため病院に行き、と常に忙しくしていました。そうじゃないと余計なことを考えてすぐ発作が起きてしまうからです。

 

 

人工授精、ホルモン検査、卵管造影検査、子宮鏡検査、体外受精、と様々な検査や治療をしても妊娠しませんでした。
不妊の原因は卵管の閉塞でした。

 

 

体外受精が失敗に終わって、心もお金もカラカラになったとき、「治療を少し休みませんか」と医師に言われて、「冗談じゃない、前に進みたい」と思ったので病院を変えました。

 

 

次に出会ったのが、湘南IVFクリニック(現メディカルパーク湘南)の田中雄大医師でした。
卵管の詰まっているところを広げる「卵管鏡下卵管形成術(FT)」をしている病院で、すぐに手術をしました。

 

 

手術後、すぐに、長女を妊娠しました。
長女のおかげで、流産の悲しみから立ち直りました。

ノートに、ようやく、前向きなことを書けるようになりました。

最初の妊娠・流産をしてから、3年が経っていました。

 

 

私の初めての人、ありがとう。

たくさんのことに気づかせてくれてありがとう。

本当は、ずっと一緒にいたかったけど、残念だったね。

忘れない。

嬉しかったことも、不安も、つらさも、ソワソワも、ウキウキも、いたみも、

悲しみも、希望も、絶望も、わくわくも、優しさも、だるさも、気持ち悪さも、眠たさも、

感動も、ショックも。

あなたは、2009年7月29日に、私の中で生きていた。

私と、夫の、大事な人です。

望まれて、育っていた人です。

どうか母に似ず、人を恨んだり、呪ったり、妬んだりせず、自然に還ってください。

優しい風に、やわらかな光に、あたたかい土に、清らかな水に、なってください。

 

 

 

今でも毒ノートを見ると涙が止まらなくなりますが、人生を諦めなかった自分、前に進めた自分、よくやった、と思います。

初めての妊娠、流産、不妊治療で、レジリエンス力(折れない心)を養えたんだと、今は当時の事実や気持ちを、受け入れることができています。

 

 

不妊治療と並行して、前に進むべくチャレンジしたことが実は他にもありました。

 

 

続きは、また^^

 

 

今日も素敵な一日をお過ごし下さい♪

 

 

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